私の世界観

癒すこと癒されること

忙しい日常の中にあって、『癒したい』『癒されたい』と思う気持ちは誰もが持っていることでしょう。これを他の言葉で言い換えるならば、

『癒したい』=『本来の状態へと戻したい』
『癒されたい』=『本来の状態へと(何らかの助けを借りて)戻りたい』

ということになるのではないでしょうか。

誰でも心地よく笑顔で過ごしたいものですし、「誰かの役に立てれば幸せ」そんな風に思ったりしますよね。もちろん、この文章を書いている私自身も例外ではありません。
そんな中、スピリチュアルに興味のある人ならば一度は考えると思うのです。人の役に立つのならば、ヒーラーになりたいと。

いきなりですが、ここであなたに質問があります。

『苦しんでいる人たちを救いたいからヒーラーになりたい』というのはとても尊く素晴らしいことのように感じられると思いますが、本当にそうでしょうか?

そこに隠れているエゴに、あなたは気が付いているでしょうか?

耳の痛いことではありますが、私もこの疑問に行きつくまでには随分と時間がかかってしまいましたし、その答えを得るまでには、また随分と学びの時間を過ごしてもきました。しかも未だに道半ば。(笑)

反発心をお持ちになる方も多いのではないかと思う中、それでも私の考える癒しについて本日ここで綴ってみようと思います。最後に本当の癒しについて私の思うところを記載しますので、最後まで読み切っていただけるようですと嬉しいです。

誰かを癒そう、癒したいと思うとき、そこには無意識のうちに『上から目線』が生じています。癒したい人が癒す対象として見るのは、自分よりも幸せそうで、落ち着いている人ではありませんよね。一時的であっても、自分から見て、自分よりも苦しんでいそうな人、かわいそうな人のはずです。

そしてヒーリングを施す段階になれば、癒されていない自分の暗くジメジメとした部分に目をつぶり、他の誰かを癒す天使のような、心の広い、愛に溢れた自分を意識の表層へと“呼び出す”。そしてその自らが作り上げた幻想によって、見たくない部分に幾重にもベールをかける。そうしておいたうえで、理想の自分像視点で疲れていると思われる人、苦しんでいると思われる人、かわいそうに思われる人にヒーリングのエネルギーを流していく。
毒舌的に言えば、大抵そのようなプロセスをたどるのではないでしょうか?

そうではないと、自分は心底人を癒したいのだと思っているし、それだからこそ、今までにたくさんのヒーリング技法を身に着けてきたのだと感じる方もいらっしゃることでしょう。私もあなたのその優しい心を否定するつもりはありません。努力し学ぶことも素晴らしいことだと思います。また、そんなあなたからヒーリングを受けて癒される人も、喜んでくださる人も、もちろんたくさんいらっしゃることでしょう。
ですが、何も特別なことをしなくとも癒しのエネルギーを放っている人もいますよね。たとえその人が、ヒーリング技法を何一つ身に着けてはいなかったとしても。

何はともあれ、エネルギーは決して嘘をつきませんから、『幻想のあなた』ではなく『現状のあなた』を通してお相手へと流れていきます。それを否定することは誰にもできません。

ヒーリングの場合、意思が引き金となってエネルギーの循環がオンになります。そして自分の意識(愛の大きさ深さによってレベルが違います)を通して、お相手へとエネルギーの流入が始まるわけなのですが…
あなたの愛が癒したいお相手よりも進んだ段階にある場合、あなたを通して流れるエネルギーは、あなたの望み通りにお相手に癒しをもたらします。ですが反対に、ヒーリングを受けているお相手の方があなたより深い愛の段階を体現しているような場合、エネルギーの循環によって、逆にあなたの方が癒されることになるでしょう。お相手からすれば、二人の間で循環し終えて平均となったことで、ヒーリングを受ける前よりも重たく感じられるようになっているかもしれません。ですが、愛が深く思いやりも深いために、コメントをいただけないか、または「ありがとう」とコメントをくださる場合もあるのではないかと思われます。

癒しに限りませんが、エネルギーは基本的に、周波数が高く細やかな方から周波数が低く荒い方へと流れています。まるで高気圧と低気圧の関係のように、です。そして常に対流を起こし、平均をとろうとするのです。
(※無限の宇宙エネルギーを使うのではなく、自分だけのエネルギーをヒーリングに使った場合はそうなるということです。個人の意識が個を超えて広がっていればいるほど、ヒーリング能力は高くなります。)

誰かを癒すには、身に着けたヒーリング技法の数を誇るのではなく、自らが高い周波数を放つ存在、愛ある存在であることのほうが望ましいのです。

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