神聖幾何学

マンダラと神聖幾何学の表すもの

異なるアプローチのため見た目に違いはありますが、マンダラと神聖幾何学が表しているものは同じで、一つの意識から生み出される生命の連なりとその在りようです。
それは普遍的なものであり、創造主の意識からの分化と統合の過程、もしくは中心から発生した生命の次元を超えた成長と源への帰還というプロセスを描き出したものであると考えられています。

マンダラは、一つの生命のライフサイクルを表した球体を、その中心を通るように輪切りにしたものがベースにあるのではないかと私は感じています。
私たちは有限と無限の狭間にあるゼロという意識の中心に軸を置いているとき、有限側と無限側、物質世界と非物質世界、金剛界と胎蔵界というような、二つの真逆な方向に広がる景色を二つの異なるマンダラとして認識するのではないでしょうか。二つに見えるけれども、本当は相互に補い合い循環する一つの世界。それは言葉では語りつくせない光景であったために、ゼロ意識を垣間見た人々は、古来より単純な図形の組み合わせや絵画的な芸術としてその情報を伝えてきたのでしょう。

マンダラといいますと、緻密な技法でチベット仏教の世界観を描いた金剛界マンダラと胎蔵界マンダラが特に有名ですが、マンダラは他にも種類があるのです。最もシンプルなマンダラは同心円で、それには共振共鳴する異なる次元間の相互作用を表すという一面があります。このように、シンプルな形のマンダラは幾何学的で対称性と対照性を持ち、宇宙の理を円や曲線で、人間の作り出した世界観を四角形や直線で表し、その組み合わせによって人と宇宙との関係性を表現しているのです。

神聖幾何学は、ゼロ意識の創り上げる世界をそのままシンプルな形で表したものです。神聖幾何学はマンダラであるともいえますが、その違いは、ただ一つの形から出来ているかどうか。また、中心点があるかどうか。そして、中心から広がりはするものの、エネルギー的に常にプラスマイナスのバランスを保ちながらゼロの世界観を表現しているかどうかにあります。

創造主、サムシング・グレート、宇宙意識などと呼ばれるものは全て同じゼロ意識のことであり、この源のゼロ意識を分かち与えられ、源泉からのエネルギーを受けて全ての生命の種子は発芽し成長します。その生命のサイクルは、エッグ・オブ・ライフ、フラワー・オブ・ライフ、そしてフルーツ・オブ・ライフ等として知られる神聖幾何学として古来より親しまれてきました。私たち人類がマンダラや神聖幾何学模様を描き、またそれを美しいと感じ理解することが出来るのは、共振共鳴するから。宇宙と共通する性質を持っているひとつの共同体としての意識を、私たちはその根底に持つからなのです。

ゼロ意識とその広がり
創造主の意識であるゼロ意識の基本は対称性と対照性にあり、球であり、幾何学的です。この世のすべての生命のコアにはこのゼロ意識へと通じる扉が存在し、その発達の仕方は大元のゼロ意識と同じです。

私たち人間を例にとってみますと、私たちとは、一瞬の連続である『今ここ』という時間と空間の中に現れる意識と肉体です。ところが『今ここ』を意識した瞬間に、その意識された『今ここ』はすでに過去のものとなっていますので、厳密には『今ここ』という瞬間は存在するようなしないような曖昧なものであり、それだからこそ、そこに全ての可能性を含むゼロとの接続点が現れるのです。

個人の意識の状態は刻一刻と変化し、意識の発する聞こえない音の波は緻密な波紋のような構造となって、一瞬前の今と今、そして隣合い重なり合う一瞬後の今と今とで相互に干渉し合いながら広がっていきます。刻一刻と絶え間なく変化し続ける肉体もまた、意識と同様に干渉波を生み出し続けます。意識が縦軸だとしますと、肉体は横軸です。同じ時空間の中に同時に顕在化したそれらが瞬間瞬間の『今ここ』という一点にて十字の交差を生み出し、相互に干渉し合いながら全方位へ向けて球状の複雑化した波紋を広げているのです。

私たちの肉体を構成している細胞は私たちのものとは違うレベルの意識を持っていて、細胞の中には先祖から受け継いできた記憶がDNAという形で含まれています。
ひとりとして同じ人間は存在しませんので、年輪のような層になっている球体内部はそれぞれ違った様相を呈しているのではないでしょうか。ですから、それら一つ一つの球体を中心を通るように輪切りにしてみますと、それぞれの歩んできた道程を示す美しい幾何学的なマンダラとなっていることでしょう。まるで共通の原理に従ってはいるけれども、一つとして同じ形になることのない雪の結晶のように。

ゼロ意識を中心に抱く球は、個人的な意識のレベルのみならず集合的無意識としても成り立ちます。
私たちは一人きりで生きているわけではありませんので、お互いに干渉し合っています。時には反発し合い、時には共鳴し合って、識域下で繋がり合った人類として、一つの幾何学的なグリッドを形成しています。グリッドの形はそれぞれの種の置かれた意識段階によって様々ですが、人間だけではなく動物も植物も鉱物も、それぞれさらに細かく分類された種としての意識や在り方から発せられる集合的無意識のグリッドを形成しているのです。そして種を超えて地球上に生きる全ての生命が共鳴し合い干渉し合い、それぞれのグリッドが重なり合い繋がり合うようにして内部に層を成し、惑星という体を持つ地球意識の下で、より大きく複雑化した、グリッドのひしめき合う立体幾何学構造を形成しています。
その立体幾何学構造は中心を通るように輪切りにすればマンダラに見え、外部から眺めれば球体となっているのです。

意識のレベルが上がれば上がるほどにそこに包含される生命の数も多くなり多様化していくため、干渉し合う意識の層は厚みを増し、それに比例して球体も大きくなっていきます。厳密には、真球は始まりのゼロ意識のカタチのことを指し、この次元には存在しないものとして認識されています。ですので、意識のレベルが上がるごとに、外部から見た形としてはより球らしく、真球に近くなっていくということです。

宇宙はフラクタルであるために、恒星意識を中心に持つ太陽のような、惑星意識よりも更に規模の大きなものになっても、原子のような更に規模の小さなものになっても、平面的にはマンダラ、立体的には入れ子状の球体という構造に変わりはありません。

素粒子、原子、鉱物、植物、動物、星々、銀河、宇宙・・・私たちは姿や意識の顕現レベルこそ違えどもお互いに干渉し浸透し合って、相互に依存し影響を与え合って、次元を超えて存在する同じ一つの生命の違った側面を表現しながら生きています。ですから、私たちが内に眠るゼロ意識を目覚めさせ、その意識状態で何かを意図するとき、そこには全宇宙の物質的・非物質的な全ての繋がりが反映されるのです。

人間の中心に在るゼロ意識とは神意識。そのことの持つ無限の可能性を指して、先人たちは「ひとりの人間はひとつの宇宙である」とか「上にあるがごとく下にもある」というような言葉を残したのでしょう。

マンダラと神聖幾何学の表すもの。それは命のサイクルであるとともに、ゼロ意識を獲得した私たちの無限の可能性なのです。

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